【セミナー報告】AKIRA氏「40代からのパーソナルトレーナー」

3月28日にヒューマンSAWAKI GYMで実施された、現役プロレスラーAKIRA氏によるセミナーをお伝えいたします。

「40代からのパーソナルトレーナー」と題されたAKIRA氏のセミナーは、前半にAKIRA氏のお話、後半に実技と盛りだくさんの内容で行われました。SAWAKI GYM代表澤木一貴は、前半のトークセッションにて、AKIRA氏とお話をさせていただきました。このセミナーは週刊プロレスの取材が入るなど、注目されました。

AKIRAさんがパーソナルトレーナーを目指すきっかけになったのが、2009年4月。知人の紹介でNESTA JAPAN理事を務める私のところにいらっしゃいました。ここからAKIRAさんのパーソナルトレーナーとしての戦いがスタートしました。受験に向けてアドバイスはさせていただきましたが、AKIRAさんは、プロレスの巡業にテキストを持ち歩き、自力で一発合格を勝ち取りました。そこから今までが順風満帆だったわけではありませんが、コツコツと積み重ね、トレーナーとしてのキャリアを確実に積んでいらっしゃいます。

それでは、写真とともに当日のレポートをご覧ください!

40代からのパーソナルトレーナー

▲30名強の観衆の中、AKIRAさんのトークから始まりました。プロレスファンの私は、AKIRAさんの必殺技ムーンサルトプレス誕生の秘話を引き出すことに成功ビックリマークプロレス以外にも俳優として仮面ライダークウガにおいて、オダギリジョーさんとのスタントのお話もでました。

▲AKIRAさんがNESTAを選んだ理由やパーソナルトレーナーとして展望もお話いただきました。トークの後半には、試合前のモチベーションを高めるテクニックとして「ペップトーク」の詩を披露していただきました。深みのあるお話にみんな釘付けです!

▲後半は実技セッション。AKIRAさんが、経験してきた、体操や古武道やバレエの動きを組み合わせて独自に完成させた「パワーポジションエクササイズ」。これは効きました!

▲アクションスターでもあるAKIRAさん、カッコイイ動きをレクチャーしていただけました。これが、仮面ライダークウガでオダギリジョーさんとの掛け合いをした動きなのですね!

▲あまりの暑さに薄着になる女性も!・・・SAWAKI GYMの藤田トレーナー(黒くてデカイ)と三輝インストラクター(白くて細い)です!

▲ご参加のみなさまと。この日の模様は、翌週の週刊プロレスにも紹介され、業界でも注目の出来事となりました。

株式会社SAWAKI GYM代表、NESTA JAPAN理事:澤木 一貴

 

AKIRA(野上彰)氏プロフィール

1984年、新日本プロレスに入門する。同期には、武藤敬司、橋本真也、蝶野正洋、船木誠勝らがいた。久留米県立体育館における武藤敬司戦でデビュー。船木誠勝と組み、タッグでU.W.F.の安生・中野組と好試合を連発し、前座を沸かせる。その後欧州武者修行を経て、凱旋帰国と同時に第16代IWGPジュニアヘビー級王座を奪取。この頃、東京ドーム大会で、隈取を施しAKIRAとして試合を行ったこともある。その後、体重を上げてヘビー級に転向、飯塚高史と「J・J・JACKS」を結成した(さらにエル・サムライを加え、「新世代闘魂トリオ」の名を付けられた時期もある)。1996年にコンビを解消し、平成維震軍の一員となった。

1998年以降、試合(主に橋本の蹴り)の影響で網膜剥離を患う。レスラーとしてはセミリタイア状態となり、俳優業を開始(後述)。しかし、当時欠場中だった蝶野に誘われ、TEAM 2000に「ムービースター」の二つ名で参加。AKIRAと完全に改名し、オブジェを顔面に接着したような風変わりな覆面で試合に乱入、俳優経験を生かした高いアピール力と弾けたファイトぶりで、高い会場人気を得た。その後はジュニア戦線に主戦場を移し、金本浩二や稔(当時は田中稔)との対決は常に名勝負となった。

2004年には新日本プロレスから離脱、フリーとなって全日本プロレスにスポット参戦し、当時カズ・ハヤシが保有していた世界ジュニアのタイトルに挑戦した。AKIRAが初めて全日マットに上がった際、二足の草鞋を履いているからといってどちらもおざなりにせずプロレスをしていた姿を見た渕正信は絶賛しきりであった。それ以後は週刊プロレスの当時のインタビューコーナー『蝶野王国』で、司会の蝶野に対し「全日本で自分の居場所を見つけた」と発言、全日マットをメインに活躍した。

その後和泉元彌のプロレス進出にあたりトレーナーとなった。これを足がかりとしてハッスル・マニアでセッチー鬼瓦軍団の一人としてハッスルに初上陸、クリスマススペシャルでハッスルに正式参戦した。

2006年に近藤修司の保有する世界ジュニアタイトルに挑戦、敗退するものの、その日のベストバウトとして高い評価を受けた。ビッグマウス・ラウドにも参戦している。また、知人の紹介でマッスル坂井、鶴見亜門と遭遇しマッスル名物のスローモーションを見て「俺ならもっと上手くできる」と発言し、「マッスル11」にも参戦した。

2007年8月26日に行われた新日本プロレスのC.T.U解散興行で3年ぶりに新日本に参戦。また蝶野正洋、長州力率いる新たなユニットの『レジェンド軍』のメンバーとして活動している。

2008年2月17日、フリーとなってから初タイトルとなるIWGPジュニアタッグ王座を奪取(ライガーとのタッグ)。2008年4月、内藤哲也、裕次郎組から防衛するも、現在はタイトルを落としている。

あまりウエイトを増やすと俳優業に支障をきたす為か現在ではジュニア戦線を主戦場としているが、逆に動きやすい体重であることが自身の持ち味を最大限に活かす形となっている。 また、元ヘビー級である事やメジャー団体のヘビー級に混じって試合をしていた豊富な経験、ジュニア選手の中では比較的長身であることなどからレスラーとしては年齢的、肉体的にはピークを越えた今なお活躍している。

■オフショット集

▲AKIRAさんとSAWAKI GYMのスタッフ。

▲昨年5月にNESTA-PFTを受験し、ともに合格した“同期タッグ”。

▲週刊プロレス 湯沢次長の取材を受けるAKIRAさん。セミナーの模様は、4月6日発売号に掲載されました。