平成21年6月13日、プロレス界のスーパースター三沢光晴選手が他界されました。驚きが先行し、未だ信じられない事実ですが、ただただご冥福をお祈りするばかりです。

ディファ有明のリングに立つ三沢選手 澤木撮影

ディファ有明のリングに立つ三沢選手 澤木撮影

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私がプロレスを見始めた1983年には、三沢選手は既にデビューしており、越中詩朗選手との前座試合が名物として、土曜の夕方に放映されていました。その後、二代目タイガーマスクとなり大活躍されました。身体能力の高さから、初代タイガーマスクとは違った切り口の空中殺法とファイトスタイルに魅了されたものです。とくにドロップキックの美しさは、群を抜いていたと思っています。

 

私は、憧れの三沢選手と接触を持つ3つの機会に恵まれました。

 

まずは、私がフィットネスクラブでの仕事を開始した1991年ごろ・・・。私の勤務していたフィットネスクラブに会員としていらっしゃったのです。ファン丸出しのミーハーな気分で接客させていただきました。大きなカラダでバイクを漕ぎ、跳躍力向上のためにふくらはぎを熱心に鍛えてらっしゃったのを覚えています。

 

そして、2度目は私が全日本プロレスに営業社員として入社したとき。公務員を目指していた私は試験に全滅し、就職先として全日本プロレスを考えました。そして難関(事実!)を潜り抜けて何とか合格。選手であり、スーパースターとして大活躍中の三沢選手にご挨拶させていただきました。このとき、三沢選手はタイガーの覆面を脱ぎ捨て、『四天王』として時代を引っ張っておられました。1994年のことです。

フィットネスクラブでは、インストラクターとお客様という関係だったのですが、全日本プロレスでは、選手と営業社員、いや部署の違う上司と部下という感じだったでしょうか。「何でおまえいるの?」覚えていただいていたのが嬉しかった思い出があります。札幌ススキノで深夜にごちそうになったラーメンの味が忘れられません。偉大な名レスラーと一時でも同じ会社でお仕事ができたことは私の財産になっています。

 

三沢選手を訪ねて~日本武道館~2006年3月

三沢選手を訪ねて~日本武道館~2006年3月

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、3度目の再会は、現在勤務する専門学校、総合学園ヒューマンアカデミーに入ってから。学校の実習の一環としてリング設営や売店業務をお手伝いさせていただいております。時には教え子の学生を花束係としてリングに上げていただいたこともありました。

「澤木?覚えているよ」試合前の三沢選手がクールに、そして優しくお話してくださいました。たくさんの夢と希望、そして元気を与えてくださった三沢選手とプロレス界に恩返しができないものか!?真剣にそう思いました。全日本プロレス時代は出来の悪い営業社員としてご迷惑しかお掛けていませんでしたから、今、トレーナーとして何かできないか?と。しかし、三沢選手はもういらっしゃいません。

 

7月4日、ディファ有明での献花・・・最後のお別れに行こうと思います。三沢選手から影響を受けた者の一人として、三沢選手の功績を覚えていたいし、お疲れ様でした、とお伝えしたいから・・・。

この雄姿はもう見られない・・・。澤木撮影

この雄姿はもう見られない・・・。澤木撮影

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三沢選手、今までたくさんの好試合、そして夢を与えていただきましてありがとうございました。

心よりご冥福をお祈りいたします。

SawakiGym代表 澤木一貴